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チーフアーキテクト を務めるMA Partnersの設計・監理案件。
敷地は福島県伊達郡川俣町に新設された西部工業団地内に建つ。福島駅からは車で30分ほどの距離で避難地域から程近く、川俣町から先は未だ避難地域として生活できる状態にはないエリアが広がっている。現地へ行くとまちの人々は普段通り何気ない日常を過ごしているように見えるが、心に負った傷跡は深く、かたちとして目に見える復興とは異なり、震災と共に生きていかなければならないという復興の印象とは未だ程遠い現状となっている。そうした状況の中、川俣町はまちの活力を取り戻すべく西部工業団地へミツフジ株式会社を誘致する。まちは地域住民にとっての復興の象徴としたいという想いがあった。川俣町はかつて絹の産地として栄えたまちであり、再び最先端の繊維業のまちとして復興の舵を切ることとなる。

また本建築では民間の企業が津波災害補助金を申請するため、非常にシビアな建築の調整が必要となった。まちに対する象徴性は確保しつつ建築として華美ではない佇まいとなるよう施主と申請先の3者で慎重に検討が進められていった。

 

敷地の西部工業団地は平成28年に新設された団地で、用地面積は7.7haで現状3つの敷地に分譲されており、その内2.4haの敷地をミツフジ株式会社が借受けている。国道114号線から400mほど南下した場所だが、もともと川俣町雁ヶ作の山を造成した場所のため、30m近く高い丘の上に広大な平地があるような格好となっている。造成された平地のため敷地内に切土と盛土の場所があり、配置検討では支持地盤や雨水を踏まえコストを抑えるためにも建築本体は切土部分に建てることとした。こうすることで元々山になっていたボリュームに建築が建つことにより自然なスカイラインを生んでいる。プログラムとして本工場では、生産にかかわる施設内容に加え、共同企業との研究開発を行う場所も設ける必要があった。将来の増設計画も踏まえ、共通した平面構成方法をとりつつ研究開発部分と工場部分を切り離し別棟としている。

尚、定められた緑地を確保しつつ、その中に実証実験用のランニングトラックを敷地に沿って設けており、ゆったりとした敷地の中の散歩道として機能する。造園については荻野寿也景観設計に協力いただき、平地になった土地に対して自然に樹木が生えて来たような新たな原風景をつくりだすために、緩やかなアンジュレーションを設けつつ、ほぼ全ての樹木を地元の山から持ってくることで気候に寄り添った庭をつくりだそうと試みている。原っぱの中に佇む樹木のため、一本一本を慎重に植えており、樹木の移動距離も少ないので様々な特徴のある樹形の樹木を配置することができた。

 

ミツフジ株式会社は京都の西陣織が発祥の企業であり、現在は銀メッキを施した繊維を生産する企業である。地元京都から東京本社とこれまで拡大を広げてきたが、福島(東北)の拠点づくりは今回初めての経験であり、地域に根ざしたオープンな工場となることが求められた。

平面においては設備のシステムや独立した機能を持つ部屋をまとめたボックスを4つ作り、それらの間隔をあけて配置していくことで、間のスペースをカフェテリアなどのオープンな用途に使用するという構成をとっている。こうすることで、動きのある企業方針における内容変更に対して柔軟に対応でき、設計上の懐を深く構えることができた。オープンスペースに必要な空調等の機能もボックス側に内包してしており、オープンスペースは屋根が乗っただけの構成になっている。メンテナンス等もボックス側で対応することで執務の邪魔にならないようにした。またオープンスペースは屋外との間に土間やテラスといったバッファーゾーンを設け内外が緩やかにつながるような計画とした。ひらかれた空間とセキュリティが必要な閉じられた空間を分離しつつ、ボックス間を横切るアクセス動線によって奥行きのあるグラデーショナルな空間としている。職場というものは、その人にとって非常に長い時間を過ごす場所となるため、できる限り居心地の良い空間であるべきである。環境が良くなることで働き手の意識が変わり生産性も向上するのではないかと期待している。また利用者も来訪者もその建築に来たくなるような・居続けたくなるような空間を目指し、地域にひらかれ愛されるような建築となれば幸いである。

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